ウディ・アレン:最新作、死生感、愛を語る

2010年09月18日

  ウディ・アレン:最新作、死生感、愛を語る

 最新作『You Will Meet a Tall Dark Stranger(原題)』が米国で公開間近のウディ・アレン監督(74)に会った。アレン監督は、監督した42作の長編映画の多くに自ら出演しているが、その薄いピンク色がかった顔と、ややはげ上がった分け目、黒いべっ甲縁のめがねは映画のイメージそのままだ。頭をひょいと動かすしぐさや物知り気な含み笑いが、「常に思い悩んでいる」といった発言にさらに説得力を持たせる。  

 だが、ニューヨーク・マンハッタンのとあるホテルの会議室にいるアレン監督は、場違いに見えた。おそらくは予算会議の方がお似合いの、長いニス塗りのテーブルの端に座って両手を重ね、記者の顔を静かに見つめながら、新作の映画や、仕事と私生活とのはざまでままならない人生の主題などについて語った。  

 『You Will Meet a Tall Dark Stranger』は、ジョッシュ・ブローリン、ナオミ・ワッツアンソニー・ホプキンス、ジェマ・ジョーンズが主演のロンドンを舞台にした作品。離婚の危機に直面し、現実と理想とのギャップに向き合うことを余儀なくされた2組の夫婦を題材にしている。  

 キャリアや新しい恋人との関係に悩む主人公たちと、占い師の予言とが交錯する。占い師が運命の恋人の象徴として予言の中に見る「tall dark stranger(背の高い、黒い影の見知らぬ人物)」は、やがて主人公たちに襲いかかる死への恐怖を意味するものであることが明らかになる。  

 アレン監督は近年、映画のほとんどを資金を確保しやすい海外で撮影している。アレン監督は『You Will Meet a Tall Dark Stranger』というタイトルは、米国向けとしては素晴らしいが、そこにあるアメリカニズムは外国では伝わらないと述べる。  

 「各国向けの映画のタイトル作りには毎回苦労する。タイトルにこめられた微妙な意味を外国市場で伝えるのは不可能だ」と、アレン監督は言う。  

 例えば、ロシアの文化では、死の権化の性別が米国とは異なると教えられたという。「死に神はどの文化にもあるが、ロシアでは女性だそうだ。たぶん共産主義特有のリアリズムなのだろう」

以下はインタビューの抜粋。

WSJ: 映画の出来がいいと思うときほど、多くのインタビューを受けるということはあるか。

アレン監督: それはない。映画について語るのは、あくまで配給会社に礼を尽くすためだ。いわば紳士協定だ。道徳上の義務だけは果たさないと。資金だけ出してもらって、後は一切インタビューを受けないような人には、なりたくない。そうした利己的な態度は、それはそれで構わない。だが、映画作りの資金を出してもらった人たちに対しては失礼だ。

WSJ: 欧州の資金支援者は、事前に台本を見せることを要求したり、出演者を選ぶ際に口出しすることはないというが、それ以外にも特別な契約があるのか。
アレン監督: ある。だが、わたしが気に入っているのは彼らの人柄だ。確かに接待もしなければならないが、外国人は付き合っていて楽しい人が多い。国際感覚豊かで、魅力的で、感じがいい。それに、わたしが監督した映画の話もしない。
 商才はあるが、映画作りについて何も分かっていない3人のビジネスマンと一部屋に押し込められるのとは訳が違う。わたしは彼らの会社を破産せさ、彼らはわたしの映画を台無しにする。最近は運に恵まれた。

WSJ: 自分の映画の批評は読まないというが、失敗作だったときに、友人や家族など信頼できる人たちの中で、誰がそれを教えてくれるのか。

アレン監督: みんなだ。妻や姉、友人に至るまで誰もが、つまらなかった、最初は良かったけど途中で飽きた、前回の映画の方が好きだ、ここ数年で最高の作品だったなど、いろいろ言ってくれる。甘やかされてはいない。彼らの辛らつさには驚くと思う。  

だが、わたしはそれを有り難いと思っている。『それでも恋するバルセロナ』のような、かなりヒットした映画でさえも、そうだ。親しい友人の一人はこんな調子だ。ヒットしたかどうか知らないが、最初に観たとき好きになれなかったし、今も好きじゃない。

WSJ: 彼らの最新作への手応えは、どうか。

アレン監督: 過去数作品については批判的だったが、今作は好評だ。ただ、話にはかなり引き込まれたが、果たして映画の本質が観客には伝わるだろうかと言っていた。つまり、人生を生き抜くには多少の妄想や狂気が必要であるということと、それでも何も信じないよりは、何かを信じた方が幸せだということの2点だ。  

随分前に、ビリー・グラハム(米国のキリスト教伝道師)と、テレビで神の存在について議論したことがあった。30年以上も前だ。そのときグラハムは、たとえあなたが正しくて、わたしが間違っていて、神などいないとしても、わたしの人生はあなたの人生よりも幸せだろう。なぜなら、わたしは何かの存在を信じているからだ、と言った。それに対して、わたしは反論したかったが、できなかった。

WSJ: 映画を作るのは、存在の無意味さを忘れるためだとよく言っているにもかかわらず、監督した映画のほとんどは、その問題を主題にしている。本来の目的を果たせていないのではないか。

アレン監督: それは強迫観念になっていて、映画からも切り離せないのだ。だが、映画作りは技術的に過酷な作業なので気は紛れる。哲学的なことばかりを考えて過ごしてはいられない。そうでなければ気がめいってしまう。だが、人は通常解決可能な問題については、考えるものだ。それに、その問題がたとえ解決できないとしても、死ぬことはない。最悪な事態といっても、せいぜい映画の出来が悪いといった程度だ。

WSJ: だが、部屋で台本を書いているときは、悩みが頭から離れなくなるのではないか。

アレン監督: 技術的な問題もあるが、病的なまでに内省することが多いのは確かだ。

WSJ: そうした人生につきまとう、どうしようもなさに強いこだわりを持っているが、その考えを意識し始めたのはいつか、またいつ気持ちに折り合いをつけたのか。

アレン監督: 決して折り合いなどつけられていない。わたしの悪いところだ。母によると、わたしはとても小さいころは愛らしい子どもだったが、5、6歳ごろから、かわいげのない子になってしまったそうだ。それが、わたしが(死生感に)目覚めたときだったのではないかといつも思う。それ以来、ずっと思い悩んでいる。すべてに関して、素直に喜べないのだ。  

わたしは、われわれは不当な仕打ちを受けていると感じており、それを甘んじて受け入れることができない。死は人生の一部であり、それには何か意味があると人は言う。だが、死は、わたしにとっては単なる悲しい出来事であり、皆が言うのはきれい事だと思っている。そのようにして、おそらくわれわれは、何とかこの問題の解決策を見つけるのだろう。

WSJ: お子さんは10代にさしかかっているが、「悲しい出来事」について彼らと話したことはあるか。

アレン監督: この問題を彼らに負わせることはしない。彼らは10歳と11歳だ。彼らに対しては常にポジティブであろうとしている。たとえ、そう感じていないとしても。  

例えば、娘が夜、怖いと言ったとする。もし誰かが家に入ってきたら、どうするのと。そしたら、わたしは心配しなくて大丈夫だ、世界で最も安全な場所にいるのだから、と心にもない嘘を言うだろう。安全なわけがない。誰かが家に侵入して、殺される可能性だってある。何の特別な警備もしていないのだから。それでも平静を装って嘘をつくだろう。

WSJ: あなたの映画には女性やエロチシズム的要素がつきものだが、それらも、あなたに安らぎを与えてはくれないのか。

アレン監督: 一時的な安らぎの場を見つけることは可能だ。カミュ(フランスの小説家)は、女性は唯一の地上の楽園だと言っているが、わたしも男性としてその意見に賛成だ。わたしは、人生は苦行であり、容赦ない悲劇と苦闘の連続だとよく感じる。  

だが、そんなときは、映画館に入り、1時間半ほどフレッド・アステア(往年のハリウッドのミュージカルスター)が踊っているのを眺めて、その世界に逃げ込む。そして、再び暗い映画館から明るい太陽の下へと歩み出て、現実の世界へ戻る。これで、少なくともリフレッシュできる。  

暑い日にバーに立ち寄り、冷たいビールを飲み、10分ほど休んで、再び旅を続けるような感じだ。こうした安らぎを与えることで、われわれの人生に実際に貢献してくれているのは、バーグマン(往年のハリウッド女優)やそのたぐいの映画の監督ではなく、そうした現実逃避的映画を作っている監督なのではないか。

WSJ: ジャズバンドで演奏しているときのように(注:アレン監督はクラリネットの名手で、たびたび公の場で演奏している)、映画についても、聴衆の反応を直接味わいたいと思ったことはないか。

アレン監督: ない。映画には、やり遂げたという、ある種の喜びがある。わたしが家でニックス(全米プロバスケットボール協会 [NBA] 所属のチーム)の試合を観戦しているとき、映画は世界中で上映されていて、わたしはそこにいないのだ。  

かつてナイトクラブで長年コメディアンとして活動していたが、それを恋しいとは思わない。欧州のオペラ劇場でニューオーリンズジャズを演奏して回ったとき、割れんばかりの拍手喝采を浴びた。聴衆は、足を踏みならし、何度も何度もアンコールを要求した。だが、特別なことではない。そうした現象が起きたことは、とても嬉しいが、刺激は感じない。

WSJ: アドレナリンがわき出ることはないと。

アレン監督: アドレナリンはわき出ない。むしろ多少罪悪感がある。わたしは演奏家としては最悪だ。バンドのメンバーは素晴らしいが、わたしが聴衆に受け入れられ、愛情を持って認めてもらえているのは、映画監督だからだ。だが、もし演奏家として生計を立てなければならないとしたら、わたしは飢え死にするだろう。わたしの演奏は、あくまでも趣味のレベルだ。

 by ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

区切り

 42もの作品を残し名監督といわれるアレン監督ですが、インタビューの中の「人生は苦行であり、容赦ない悲劇と苦闘の連続だとよく感じる」というセリフは重みがありますね。人はなぜこの世に生まれてきたのか。

 (開運編集部 F)    タイトル 占い師

 

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